日本では、いつの頃からか「先祖代々の墓」というように
亡くなったら同じ墓に入る、そして家族がその墓を守り続ける
というのが普通の仕組みになっていました。

しかし、昨今の核家族化、そして若者の都会への流出、勤務地の移動などで
その場所に住む人がいなくなり、墓を守るということが
できなくなってきている現状があります。

そして、また、そもそも墓を作らないという人も増えているようです。
そういう今の時代背景もさることながら、ほかの国はどうだったのかを
少し知っていただく機会になればいいなと思います。

今回は記事を書くにあたり、
養老孟司(ようろう・たけし)東京大学医学部名誉教授と
世界で活躍されている建築家の隈研吾(くま・けんご)氏の対談から
お墓についての興味深いお話を参考にさせていただきました。

まず、初めに
養老先生は、人間の存在を一人称、二人称、三人称と定義されています。

一人称とは「自分自身」のことで、二人称は「知り合いや家族」、
三人称は「知らない人たち」ということで、
人は、その中で二人称の死だけが考察の対象になると言われています。

そもそも自分が死んだら、自分の死のことなんて考えられないでしょう。
自分と縁のない三人称の死も、まあ関係ない。
今、この瞬間も世界を見ると、何人もの人が死んでいます。
でも、そのことは赤の他人だから我々に何の関係もないという意識です。
でも、家族、友人が亡くなったら大ごとです。

それが二人称の死ということだと言われています。
人にとって考えざるを得なくなるのは、二人称の死なのです。

それはつまり、共同体の問題になってくると言われています。

結局、死後に「自分」という主体が残るのは、共同体においてです。
多分本人だって、共同体には記憶していてもらいたいと思うでしょう。

ここで言う共同体とは、一応自分とつながっているという前提の人たちのことです。
それも家族からもう少し広がって、日本の場合だと、世間といわれているものです。

養老先生は、「死んだ人」を後の人がどう扱っているか、という話は
一種、永遠のテーマだと言われています。
国によって埋葬の仕方とか弔い方が、実にいろいろあるようです。

そこに文化の特徴が出てきているわけです。
その観点から見ても、世間の常識というのは
場所によってずいぶん変わってくるんだな、と思います。

その一番極端な例がユダヤ人で、彼らは墓を一切壊しません。
都市計画で新しい道路ができる時も、ユダヤ人は墓地の移転はしないで、
道路の下とかに作り直すのだそうです。

次に、ハプスブルク家の死者の扱い方ですが、
これなんか完全に異常だと感じます。

ハプスブルク家では家族の一員が死ぬと、
心臓を特別に取り出して銀の心臓入れに収めました。
肺、肝臓、胃腸などは銅の容器に、
残りの遺体は青銅や錫の棺に入れられました。
このように遺体を別々にして、3か所に埋葬する非常に特異な埋葬儀礼です。

先生はハプスブルク家のルーツは、
今でいうスイスの田舎だと書いておられます。

スイス人は冷蔵庫に、いろいろなものを貯蔵しておくんです。
「スイスの冷蔵庫文化」と言うそうですが、冷蔵庫の整理がやたらにいい。
それは、冬季に山の中に閉じ込められる風土だから、
肉の塊から何から何まできちんと整理して、
それを大事に大事に食べていかねばなりません。
そういう習慣で生き延びてきたからではないかという説もあります。

ルーツが牧畜民なので、とった動物の処理に慣れている。
それが、ハプスブルク家の埋葬文化ともつながるんじゃないかと想像されます。
言い換えれば、備蓄が本能みたいになっている・・・ということかも。

ドイツではカトリック信仰の厚い南ドイツのバイエルン王家でも、
心臓埋葬が流行りました。

「狂王」の異名で知られるルードヴィッヒ2世は、
このバイエルン王家であるヴィッテルスバッハ家の出で、
彼の心臓もすごい装飾の銀器に入れられています。
この人は、有名なノイシュバンシュタイン城の主です。

隈さんは、韓国のお金持ちのお墓を設計されたそうです。
川沿いの広大な敷地の中に、一族が集まって飲食もできる
ワインセラーが併設されている記念館のようになっており、
それなりに厳かな雰囲気のものでなければいけないので
バランスに苦心したそうです。

あと、中国の大金持ちからは、ファミリーのお墓の設計も頼まれたそうです。
敷地は、島にある有名な公園墓地の中で、
一見すると、草原が広がっているだけに見えます。
草原の足元に花瓶が埋めてあって、花だけがぽっと地上に出ている。
その花が墓標となるわけですが、眺めとしては、ほとんど花瓶と花だけで、
結構、名所になっているそうですよ。

この墓地の中の大きな区画を、中国のファミリーが買ったのですが、
ここもお墓と言うよりは集会所的な設計を求められ
屋根があって、その下にみんなで集まって、
テーブルを囲んで飲み食いをするようになっています。

集会所的な造りを好まれるのは、韓国人なり中国人なりの
死生観が反映されたものなので、これは完全に家族共同体ですね。

韓国においても中国においても、
共同体の縦系列というのが一番強い絆です。
基本的に、仏教よりもそちらの方が精神的には強く支配しているようです。

だいたい本来の仏教では墓というものはないのです。
上座部仏教、つまり日本で言うところの小乗仏教。
ラオスにしろ、チベット仏教の流れを汲むブータンにしろ、墓がありません。

墓とか墓石とかができたのは、
おそらく中国文化の伝播で、祖先崇拝だと思われます。
だから、例えばベトナムのように、中国文化の影響の強いところは墓があります。

カイロ、ミラノ、ニューオーリンズが、
その規模から世界三大墓地とか呼ばれているのですが、

カイロの墓地は、人間がそのまま住める家が並んでいるんです。
家の形をしている、ということじゃなくて、大きさも家なんです。

死人がそのままそこに住めるように、ということで、家そのものなんです。
もちろんお金がある人だけの墓地ですが、
家がばーっと並んでいる光景は、墓地というよりは住宅地です。

そういう墓地の作り方に、エジプト人的な死生観を感じます。
ミイラを作って遺体を保存するように、
いつでも戻ってこれるように、ということでしょうか。

家の形をしたお墓は、そういう思想の延長線上にあるんでしょうね。
沖縄の墓もカイロほど大きくはありませんが家の形をしていますよね。

沖縄の亀甲墓は南アジアの文化です。
ベトナムでも似た墓がありますし、中国の南の方も同じような墓があります。

沖縄は洗骨の習慣があったのですが、
奄美大島では洗骨の習慣が相当省略されて、風葬に近くなっていったそうです。

風葬では、墓とか墓標とか、そういうものは一切建てないので、
海岸の洞窟が一種の共同墓地みたいな場所になっていたのだそうです。

では、お墓が建つようになったのは何年ぐらい前からかというと、
ヨーロッパでも日本でも、時代によってずいぶん違うようです。

古墳時代の日本は、偉い人には墓がありました。
でも、日本の場合、中世の一般人は風葬がほとんどです。
神奈川の鎌倉などは、その典型で、ちょっと土地を掘ると骨だらけなんだとか。

中世の時代は残った骨を海岸に埋めたのですが、
海岸は中性の土壌だから骨が溶けないで残ります。

でも、関東地方では関東ローム層という酸性の土壌なので、
骨は全部溶けちゃうそうですよ。

一方、ヨーロッパは溶けない土壌なので残っていて、骨だらけなのだそうです。
中世のヨーロッパも、よっぽど偉い人以外の個人の墓は珍しく、
ふつうは教会の共同墓地がつかわれていました。
中世のヨーロッパでは、教会とはつまり墓地のことだったんですよ。

ここまでいろいろな国のお話をしてきました。

人それぞれに考え方はありますが、
私個人は、お墓を残したいとは思っておらず、
今という時間を生きるということに徹したいと思っています。

世の中の役にたったかどうかは別として
与えられた人生を、つまずきながら、泥だらけになりながらでも
一所懸命生きたというそれで昇華できたらと思っています。

あと何年人生が残っているかはわからないことですが、
これからの時間で、なにかひとつでも残せれば幸せだと思っています。