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ロンドンタクシーが電気自動車に

1月20日は二十四節気の「大寒」でしたね。
暦の上では一番寒い時期と言われています。

寒卵とか、大寒卵って知ってました?

寒卵とは、寒の内(2014年は1月5日~2月3日)に生まれた卵の事で
大寒卵とは、大寒(2014年は1月20日)に生まれた卵のみを指すそうです。

風水で大寒卵は非常に縁起が良く
子供が食べると、病気にかかりにくくなり
大人が食べると、金運がアップし
その1年間はお小遣いに困らなくなると言われています

とはいうものの、私たちが普段購入する卵には、賞味期限は書かれていても
産卵日は書いてないからわかりませんよね。

ま、とにかく寒さに負けないで乗り切りましょう。

さて、今回は、ロンドンのタクシーの話題です。

ロンドンの街を走り回るタクシー「ブラックキャブ」。
赤い2階建てバスと並ぶロンドン名物の乗り物として親しまれています。

「ブラックキャブ」は「馬車にお客を乗せていたときの名残り」で、
割と大きな客席部分に4-5人が向き合わせで乗るような、
ユニークな形になっています。

その総数は2万台以上あります。
厳しいテストを通過した有能なドライバーがハンドルを握りますので
世界一安全なタクシーと言われているそうです。

「ブラックキャブ」というくらいですから、もともとは黒い車体でしたが、
いまでは「黒くないタクシー」もたくさんあり、大きさもさまざまですが、
基本的に料金は同じです。

乗り方ですが、まず運転手に「助手席の窓越し」に行き先を伝えます。

行きたい場所の「郵便番号」をいえば、
確実にその目的地に連れて行ってくれることになっています。

ホテル名を伝えるときも、同じような名前のホテルが
ロンドンにはたくさんありますので、必ず郵便番号と共に伝えることが必要です。

運転手がOKと言ってから、ドアは自分で開けて乗り込みます。
自動扉はありません。

トランクなどの大きな荷物も自分で客席部分に載せます。

料金は、バックミラーの上に付いたメーターに表示されます。

初乗りは2.40ポンド(2013年1月現在)。
夜間、週末、祝日は割増料金になります。

メーターには、時間帯ごとに変わる割増料金もすべて加味されて表示されます。
また、レシートは必ずもらっておきましょう。

このロンドンのタクシーですが、
ジョンソン・ロンドン市長は16日、2018年から
市内を走るタクシーの新規登録を電気自動車など
温暖化ガスを排出しない車に限定すると表明しました。

世界の主要都市に先駆けて温暖化ガス削減を進め、
大気汚染解消に役立てることが目的です。

これに伴い、タクシー製造では、日産自動車を含む5社が開発を急いでおり、
新たな商機につながりそうです。

ジョンソン市長が16日に発表した公約では、
タクシーを新規登録する際に「温暖化ガスの排出がゼロになる機能を持つこと」を
条件とする、となっています。

電気自動車やプラグインハイブリッド車(PHV)が対象ですが、
市内中心部では電気での運行を義務づけるそうです。

早期の普及に向けて市内の充電設備の設置を急ぐ方針で、
1918年までに現在の4倍以上の6000ヶ所に増やす計画だそうです。

電気タクシーの開発は「ブラックキャブ(黒塗りタクシー)」で有名な
中国・吉利汽車傘下のロンドン・タクシーや日産などの5社が競っています。

日産は世界展開する多目的車「NV200」をベースに、
1915年に電気タクシーをロンドンで投入予定。
これに先駆け、14年中にはガソリン車も発売し、
ロンドンのタクシー市場に参入する計画です。

世界の主要都市には環境改善のために、
電気タクシーを採用する動きが出始めています。

日本も近未来にそうなるかもしれませんね。

青い目になって日本を見直そう(後編)

前回に続いて、外国人から見た日本の姿を考えてみましょう。

56号の続きです。

16世紀にイエズス会から布教のために派遣されて来日した
ポルトガル人のルイス・フロイスさんです。
彼がやってきたのは、フランシスコ・ザビエル上陸の36年後。

大航海時代真っただ中で、フロイスさんは日本在住中に
様々な文書を書き残しました。
その中で特筆すべきが「日本覚書」です。

その中の記述から抜粋しています。

まずは、「男性、その風采と衣服に関して」の項。

「われらにおいては、彩色の衣服をまとうなど
軽率で笑うべきこととされるであろう。
日本人においては、仏僧と剃髪した老人のほかは
彩色の衣服をまとうのが一般的である。」

今のダークな色合いをまとった日本人は、西洋の真似をしているにすぎない。

もっとパッと、色とりどりが日本人らしいと書かれている。
それさえ取り戻せば、世の中、もう少し明るくなるはずだということのようです。

「女性と、その風采と衣服に関して」の項では、
「ヨーロッパでは、妻は夫の許可なしに家から外出しない。
日本の女性は、夫に知らさず、自由に行きたいところに行く。」

元々、女性は家になんか縛られていなかったようです。
今の女性の行動力や自由さは、元々の素養。
女性のほうが、いち早く日本人を取り戻しているようですね。

「児童、およびその風習に関して」の項。
「ヨーロッパの子供は、青年になっても、口上ひとつ伝えることができない。
日本の子供は、十歳でも、それを伝える判断力と賢明さにおいて
五十歳にも見える。」

この頃の子どもに会ってみたい、そんな気持ちにさせる記述です。
今や、過保護な日本の子供は、欧米に先を越されてしまったようです。

さらに、「日本人の食事と飲食の仕方について」の項では。
「われらは食卓で談話するが、歌ったり踊ったりはしない。
日本人は、食事がほとんど終わるころまで談話しないが、
あたたまると踊ったり歌ったりする。」

これはさすがに受け継がれていますね。
新橋の酔っぱらいオジサンやカラオケボックスは、伝統芸。
普段は礼儀正しいけれど、楽しくなると思いっきり羽目を外す日本人。

「家屋、建築、庭園、および果実について」の項。
「われらは、宝石や、金片、銀片を宝とする。
日本人は、古いお釜や、古いひびが入った陶器、土器などを宝物とする。」

そうですね、日本人は金品に目がくらむのではなく、
使い続けてきた道具にこそ価値を見いだす民族でした。
だからこそ、技術が継承されていきます。
しかし、不安なのはその技術が途切れそうなことです。

ちょっと見ただけでも、フロイスさんの記録はかけがえのない
日本人の価値を表したもので、今の日本人とはかけ離れているように感じます。

何を捨ててきてしまったのでしょうか、再考の時です。

最後は、明治に来日したイザベラ・バードさん。
旅行家で、紀行作家の英国人の女性です。

「日本奥地紀行」という本を残していますが、
4カ月にわたって、通訳兼従者として雇った日本人とともに、
東京から日光、新潟を抜けて北海道まで旅した記録です。

端的に表した文章がこれです。

「私はそれから奥地や蝦夷を1200マイルに渡って旅をしたが、
まったく安全でしかも心配もなかった。
世界中で日本ほど婦人が危険にも無作法な目にもあわず、
まったく安全に旅行できる国はないと信じている。」

前述の「日本覚書」にも出てきましたが、
女性が自由にどこへでも行ける国、それが日本。
300年たっても変わっていませんでした。

バードさんは、旅の終わりにはこう書いています。

当初は不潔で貧しく、文明化できない人たちとも感じていたようです。
村に泊まったときは、ネズミが彼女のキュウリを食べたり、
ノミが寝床にたくさん出てきて眠れぬ夜も体験しています。

その否定的な見方が、旅を続けるうちに肯定へと変化していったようなのです。

また、こんなことも書いてありました。
「昨日、革ひもを一本落としてしまいました。
もう陽は暮れていましたが、馬子は一里引き返して、見つけてきてくれました。
お礼に、チップを渡そうとするのですが、彼は受け取ろうとしません。
旅が終わるまで、無事に届けるのが、当然の責任だというのです。」

こんなにも誠実な人が、同じ日本人。
いつどこで変節したのか、考えさせられることばかりです。

しかし、先日テレビで若者の前に財布を落としたらどうするかということを
隠しカメラで撮影したところ、100%の人が近くにいたガードマンに
渡していました。
これは嬉しかったですね。

アイヌの地では。
「彼らは熊や太陽、月、火、水その他いろいろなものを崇拝する。
彼らは、文明化しないにもかかわらず、魅力的で、
私の心を強くひきつけるものがある。
彼らの微笑のすばらしい美しさを、私は決して忘れることはあるまいと思う。」

日本人がずっと携えてきた自然信仰。
わずか140年ほど前には、列島の隅々に残っていたに違いありません。
それにしても、バードさんは日本人さえ入らない奥地にまで潜入。

頭が下がります。

こうしてバードさんは、旅を通して日本人の美徳に気付きました。

農民をはじめ、すべての日本人は、その階級に関係なく、
礼儀正しく勤勉で、親切丁寧な生きる作法を身につけている。
それが、社会をまとめる根っこになっているのだと。

さて、3人の外国人から見た日本人。いかがでしたか? 

笑顔、あけっぴろげ、礼儀正しい、丁寧、生活を楽しむ工夫、
そして、何より生きることに前向き。

昨日と同じ今日、今日と変わらない明日を願うけれど、
そこに楽しい工夫をひとひねり。

そうすることで、自然と笑顔が生まれる。

いまさらながら、外国人から教えられました。

今、こうして素直に日本を振り返ると、そこにはキラキラした日本人の姿。
未来には、明るく、前向きな気質が不可欠だったのです。

あきらめず2014年こそは明るい年にしましょう。
明るい笑顔があふれる国に!

青い目になって日本を見直そう(前篇)

エドワード・シルベスター・モース展
「明治のこころ~モースが見た庶民のくらし~」が
昨年、江戸東京博物館で開催されていました。

日本人とは何か?
モースさんをヒントに、外国人の視点から日本人を再確認してみることにしました。

2回に分けてお送りしますので、
日本人の素晴らしさを誇りをもって、改めて認識してみませんか。

それでは、モースさんの言葉や収集したものをいくつかご紹介いたしましょう。

「通りには商店が並び、まるで誰もが店を開いているように思えるほどだ。」

「店は奥までが開け放たれている。客はその店の家族が食事をしたり
家事をするのを見ることになる。
私はある家で、ご婦人が赤ん坊に乳を飲ませながら熟睡しているのを見た。」

何ともほほ笑ましいですが、今ではあり得ない光景です。
すべてが開けっぴろげだった日本人。

また、商売が金もうけというより、みんなで生きる知恵のようです。
誰かが誰かのために、モノをつくる。
それを使う、楽しむ。
そんなことが循環して町が成立していたのです。

げた屋、ちょうちん屋、陶器人形屋、酒屋、果物屋、八百屋。

店を構えていない者も、羅宇(らう)屋(キセルのこと)、易者、
巡り観音屋(観音様を背負ってどこでもお祈りする)など
生活に必要なことはすべてが商売になっていたようです。

これこそ日本の目指す経済なのかもしれません。

道具で面白いのは、掛け花入れ。
トンボやバッタやキノコの形をしたもので、
まるで、花に止まったかのような蜻蛉の姿。
細い竹細工ですが、日用品にここまでこだわる日本人はすごすぎますよね。

その他にも、折りたためる小さなモバイルあんどん、
うさぎの形をした手あぶり火鉢など。

もう、とんでもなく楽しい日常です。

「すべての細工に関する興味は、
日本人が模倣する動物の形態を決して誤らぬことである。
理由は、彼らが自然を愛し、かつ鋭い観察力を持っているからである。」

それがモースさんの感想です。

そして子どものこと。
「世界中で日本ほど、子どもが親切に取り扱われ、
そして子どものために深い注意が払われる国はない。」

子どもの笑顔がみんなの笑顔になる。
江戸はそういう時代だったということです。

その膨大なコレクションは、すり減った下駄や手あぶり火鉢、
くし、きせる、うちわなど使い古しの民具たち。
江戸の暮らしが色濃く残る日用品に、
モースさんはすっかりとりこになってしまったようです。

残念なことに、わずか40~50年のうちに、
日本の暮らしがすっかり変わってしまったんですね。

では、なぜモースさんはこれらの古民具を買いあさったのでしょうか。

その答えは。
「この国のありとあらゆる物は、日ならずして消え失せてしまうだろう。」

米国にはない実用と美しさを両立させた日用品。
その喪失を予感していたのでしょう。
もったいない、ことです。

モースさんが器用に描かれたスケッチと説明文、写真、そしてコレクション。

彼の慧眼(けいがん)に驚くと共に、日本人への警鐘だと思うと心が引き締まる思いです。

「外国人が、日本に数カ月滞在すると、次のことに気づき始める。
自分の国で失われつつある美徳や品性を、
日本人は生まれながらに持っているらしい。

礼儀正しさ、他人への思いやり、自然に対する愛。
こうした特質は恵まれた階級だけでなく、最も貧しい人たちも持っている。」

モースさんも気付きました。
日本人は階級に関係なく、その日その日を前向きに生きている。
だから、みんな幸せの笑顔を放っていると。

その一例が、結婚のこと。
当時のアメリカでは、すでに家財道具をそろえるお金がないと
結婚をあきらめる風潮があったそうです。
今の日本でも同じですね。
経済力がないと結婚できないという思い込みが出来上がっています。

一方この頃は、たとえ貧しくても結婚を諦めることはなかったそうです。
長屋には布団、鍋釜など家財道具のレンタルが並び、
何もなくても結婚したいと思えばできた。
気持ちさえあれば、モノや生活は何とかなるというポジティブな生き方です。

私たち日本人は、先祖から受け継いだDNAにもう一度気付きましょう。

今回はここまでとします。続きをお楽しみに!

中・東欧諸国、ユーロ導入機運再び

今年初のメルマガです。

ロシアのプーチン大統領とバルト3国などの隣接国では
いろいろな衝突が続いていますが、それらの国が少しずつ
動き始めています。

1999年の単一通貨導入から15年が過ぎました。

欧州危機では導入先送り論も浮かんだものの、
ようやく信用力の低下に歯止めがかかった格好で、

中・東欧諸国の間で通貨ユーロを導入する機運が
再び高まってきているようです。

2014年1月からバルト3国のひとつであるラトビアが導入し、
ユーロ圏は18カ国に広がります。

ラトビアは1月1日、通貨をラトからユーロに切り替えました。

銀行預金を現金で引き出す際は、
原則としてユーロの紙幣と硬貨だけで支払うことになります。

さらに、ラトビア中銀総裁は、
欧州中央銀行(ECB)が1月9日に開く理事会に参加し、
ユーロ圏の銀行監督の一元化や南欧の支援プロセスにも加わるようです。

さらに、2015年には隣国のリトアニアが続き、
ポーランドなども導入を探っています。

リトアニアは2016年に財政の均衡を達成する見通しです。

両国がユーロ圏入りに踏み切った背景には、
欧州の債務危機が和らいだことがあります。

外国為替市場で自国通貨をユーロに対して固定していたことも、
通貨統合の機運を後押ししました。

安全保障上のメリットもあります。

旧ソ連から独立したバルト3国はロシアの脅威への警戒感が強く、
ユーロを導入し、西欧との結びつきを深めることは大きな意味があります。

国民にはユーロ導入が物価高を招くとの懸念もありますが、
政府が押し切った格好のようです。

他の、中・東欧諸国も、債務危機で棚上げしていたユーロ導入を
再び視野に入れ始めています。

ただ、財政再建の遅れや不安定な政権運営が妨げとなり、
実現にはもう少し時間がかかるとみられています。

例えばポーランド。

ザイデル・クロウスカ中銀理事は
「ユーロ導入の準備に向けて専門チームを発足させた」と
日本経済新聞に明かしています。

しかし、今のところユーロ導入派の現政権は支持率が低迷し、
通貨統合へ法改正などを実施できる状況にはありません。

「財政赤字が国内総生産(GDP)比で3%以内」という
ユーロ導入の条件を、中長期にわたって達成できるかも不安視されています。

欧州危機で二の足を踏んだ国々が再び導入にカジを切り、
ユーロ圏の信用力回復に期待は高まるものの、
まだハードルは高いようです。

ギリシャ、イタリアなど南欧で拙速な通貨統合で債務危機を招いたため
「焦らずに準備を進める」とする中・東欧諸国も多いというのが現状です。

ヨーロッパ内が、ユーロという一つの通貨で統一されたら
非常に大きな経済効果が生まれるのではないかと
個人的には期待をしています。

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