難しい話題の前に思わず笑みがこぼれるお話です。

歩行者にとって、信号を守るというのは、大前提のルールですね。

でも正直、ながーい赤信号とかは退屈でしょうがないし、イライラしますよね。

でも、ポルトガルで誕生した、こんな信号なら、
退屈な赤信号も楽しみながら待つことが出来そうですよ。

その信号がこちら。
http://goo.gl/IMhyxH

なんと、いつもは直立不動の、
赤いアイツが踊りまくっているじゃないですか!

しかも、そのダンスも、
ワンパターンの機械的なものではなくて、
実にイキイキとして表現力豊かで個性的ですよ。

実はこれ、ちゃんと仕掛けがあって、
近くに設置されたブースの中で踊ると、
それが信号機に反映される様になっているんです。

実際、この信号を設置してから、
赤信号をきちんと守る人が増えたとか。

何よりも、信号を待っている人の楽しそうな笑顔が素晴らしいですねぇ。

さて本題です。

国税庁の統計(2010年)によると、
会社が廃業してしまう率は、

1年以内では、60%
5年以内では、85%、
10年以内では、93.7% だそうです。

逆の言い方をすると、10年間に、1,000社中63社しか残らないのです。

ビジネスの現実は本当に厳しい!

そして、創業100年を超すと“老舗”といわれるのですが、
日本の中堅の中小企業の中には業歴100年以上を数える老舗企業が
なんと約2万社も存在するのです。

これは、世界に誇れることなんです。

その中でも500年以上の歴史をもつ駿河屋(和歌山市)は別格中の別格。

千利休や豊臣秀吉も好んだと伝えられる
「煉り羊羹(ねりようかん)」を生み出した和菓子の名門です。

しかし、その駿河屋が、その「のれん」を守れずに
創業家20代目社長が逮捕される事件をきっかけに転落しました。

室町時代中期から続いた「のれん」を守れなかった背景には、何があったのか。
一緒に振り返ってみましょう。

駿河屋は、寛正2年(1461年)に初代岡本善右衛門が京都・伏見で
「鶴屋」として創業したとされます。

業歴は実に553年。

元和5年(1619年)に紀州藩の初代藩主となった徳川頼宣公の国替えに同行し、
京都・伏見から和歌山に本店を移しました。

諸説ありますが、紀州藩御菓子司を務め、技術に磨きをかけて
煉り羊羹の製法を確立したとされます。

屋号にも逸話があり、
徳川5代将軍綱吉の長女鶴姫が紀州徳川家に嫁入りする際に
同名では恐れ多いということで「鶴屋」を返上。

その際に紀州徳川家から下賜されたのが「駿河屋」でした。

その後、昭和の時代となって1944年に株式会社化し、
1953年に店頭公開し、1961年には東証2部上場を果たしました。

「のれん」は特に関西地方で重みを持ち、
駿河屋の商品は贈答品の定番として高い人気を誇りました。

企業としてピークを迎えた1992年には売上高が60億円を突破しています。
それから12年後の2004年。

553年という長い歴史の中では、ほんの一瞬と言える短い時間で、
株式上場があだとなる事件が起こったのです。

創業家社長、岡本良晴の逮捕という大スキャンダル。

容疑は「電磁的公正証書原本不実記載」で、
11億円の「見せ金」による架空増資に関与したというものでした。

その後の裁判で明らかになったその仕組みはこうです。

2003年夏、駿河屋は副幹事証券の新光証券(現・みずほ証券)の紹介で、
投資コンサルタントの飯倉ホールディングスを引受先とする
11億4680万円の第三者割当増資を決定しました。

資本金の約半分に相当する新株を発行し、
本来なら飯倉HDから現金が払い込まれるはずだったのですが、
それは瞬時に消え失せ、手元には1円も残らなかったのです。

なぜなのか?

5億円分は飯倉HD傘下の中華料理店「海皇」の営業権を駿河屋が購入したとして、
残りの6億4680万円は貸付金として飯倉HDに還流させたのです。
しかも飯倉側は還流した金を自社の借入金の処理につかったようなのです。

大阪府警捜査2課は、このスキームが見せ金による架空増資にあたり、
増資があったとする虚偽の登記をしたとして、
岡本良晴や飯倉HD社長ら5人を逮捕したのです。

この頃、駿河屋は業績低迷による株価下落から上場基準抵触の危機にありました。
上場廃止を避けるために、増資で形だけでも財務強化を装う必要があったようです。

2006年10月25日、大阪地裁が岡本良晴に言い渡した判決は
懲役2年、執行猶予4年。
経営者として重い責任を問われ傷ついたことはもちろんですが、
その傷は個人の枠では収まらず、会社としての駿河屋の信用も大きく傷ついたのです。

紀州徳川家から下賜された伝統ある駿河屋の「のれん」を守ろうと、
岡本逮捕の段階で急きょ経営を引き継いだのは取締役の池田公平氏、
営業畑のたたき上げで、創業家以外からは初のトップ就任でした。

それを創業家一族で相談役の岡本文之助氏が会長に復帰して支える体制を敷きました。

しかし、長引く景気低迷の中、「不祥事を起こした会社の包み紙」では
贈答品の分野で苦戦を強いられるのは目に見えていました。

業績は上向かず、しかも文之助氏の代表権返上や再度の代表取締役会長就任、
池田公平氏の退任など人事のゴタゴタが続きました。

なによりも企業トップを務めることができる人材の不足、
そして資金面では、最後は創業家からの無担保、無利息の支援にすがったが、
経営悪化は限界にきて、とうとう553年の歴史に幕が下りました。

この事件の構図は、歴史を背負うはずの社長の経営の見通しが甘く、
海千山千の投資コンサルタントに目をつけられたことが発端のように見えます。

「だまされた」というのは、会社側、経営側の主張でもあります。

しかし、本質は「信用」の意味を見失ったことにあるのではないでしょうか。

上場維持による信用と、500年を超える「のれん」の信用。

どちらがより重要で、守るべきものなのか、駿河屋は取り違えてしまったのです。
古くから続く老舗菓子屋は多いですが、上場しているところはわずかです。

「のれん」の果たす役割の一つに「保証」があります。

「あののれんを掲げる店の羊羹は間違いない」。

「のれん」とは、味、品質、といったものだけでなく、
作り手の信用までイメージさせる強力なマーケティングツールです。

しかし一方で、少しでも問題を起こすと、それは大きなしっぺ返しとして、
消費者からそっぽを向かれてしまうリスクもはらんでいます。

だからこそ老舗は「信用=のれんに恥じないこと」にこだわっています。

破産が決定したのちに、駿河屋労働組合は同社の和歌山での存続、
再生を希望する署名を和歌山地裁に提出しました。
その数、なんと約1万2000人分。

製法、菓子型・木型、店舗、工場や職人の散逸は歴史的、文化的に
損失が大きいとの声が集まった結果でした。

失って初めて分かった「のれん」のありがたみといえます。

しかし、
それも不調に終わり、今年6月25日に破産手続きへの移行が決まり
老舗「駿河屋」は甦ることなく消えてしまいました。

本当に残念でなりません。