今回は東京の話題です。

東京都内のタクシー大手4社のことを、
業界関係者は「大日本帝国」と呼んでいるそうです。

大手4社とは

大和自動車交通、
日本交通、
帝都自動車交通、
国際自動車の各グループのこと。

頭文字である「大」「日本」「帝」「国」をつなげると
「大日本帝国」になるというわけ。

でも、なぜ「大日本帝国」なのでしょうか?

単なる偶然の一致にすぎないのでしょうか?

そもそも、大手4社はいつごろ生まれたのか?

では「大日本帝国」の謎について解き明かしましょう。

その前に最初に業界の基本情報についておさらいしておこう。

全国のハイヤー・タクシーの総台数は24万6322台。
その約2割にあたる5万872台が都内で営業しています。

都内大手4社で保有台数が最も多いのが日本交通、
次いで国際自動車、大和自動車交通、帝都自動車交通と続き、
4社の保有台数合計は9622台。

つまり、都内のハイヤー・タクシーの総台数の約2割、
都内の法人タクシーの約3割を

大手4社が占めている計算になります。

「大日本帝国」の謎の核心に迫る前に、
日本でタクシーが誕生してからの業界の歴史について
簡単に振り返ってみましょう。

日本で最初に法人タクシーが誕生したのは1912年(大正元年)のこと。
東京・有楽町の数寄屋橋際に設立された「タクシー自動車株式会社」が、
料金メーターを装着したT型フォード6台で営業を始めたのが
その最初だとされています。

当時、自動車がまだ珍しかったこともあり、
タクシーはかなりの人気を博していたようです。

しかし、第1次世界大戦が終わり、
不景気が到来した1921年(大正10年)ごろになると、
不景気対策として車体を黄色に塗った「流し」のタクシーが登場。

それまでの主体は「車庫待ち営業」だったのですが
1927年(昭和2年)ごろになると、市内1円均一という
「円タク」が姿を見せるようになりました。
料金が70種類以上とバラバラで客からの苦情が絶えなかったためです。

タクシーの営業は、運転免許さえあれば誰でもできる届け出制が基本でした。
このため、戦争に伴う不景気にもかかわらず、
地方から上京した労働者が大量に流入してタクシー台数が急増。

値引き競争や客の奪い合いが激しさを増し、悪質業者が横行した。
やがて、戦争の長期化で物資が滞るようになると、
個人タクシーの営業が難しくなる。

「大日本帝国」の謎が生まれたきっかけは
1944年(昭和19年)11月4日のこと。

太平洋戦争の戦況が悪化するなかで、
警視庁が都内のハイヤー・タクシー会社の代表を集め、
陸海軍の将校の立ち会いのもとで
「輸送力は重要な戦力であるから、都内4500台のハイヤー・タクシーを
4社に集約し、1社1000台以上を確保するように一日も早く実現せよ」と
命令を下したのです。

当時、都内には56社の事業者が営業していました。

これを受ける形で翌年の1月に大和自動車交通(16社合併)と
帝都自動車交通(9社合併)、3月に国際自動車(12社合併)、
12月に日本交通が相次いで誕生しました。

こうして大手4社体制が形成されたというわけ。

日本は本土決戦に備え、「一億玉砕」の覚悟で
太平洋戦争に総力を注ぎ込んでいました。
それだけに、戦意高揚のために「大日本帝国」という名前を
採用したのではないかと考えられています。

戦争末期、大手4社の「大日本帝国」に集約されたタクシーは
重要産業、軍、政府などに重点配備され、
時には今の救急車の役目も果たしたようです。

ただ、米軍機による攻撃にさらされ、
結局、終戦時には千数百台のタクシー車両しか残りませんでした。

では最後に、

「どうせ乗るのなら、黒塗りのタクシーを選んだ方が得」
ということをご存じでしょうか?

実は、黒塗りのタクシーは内装やサスペンション、タイヤなど
車両の質が相対的に高く、優秀な運転手を乗務させる会社が多いそうです。

「ハイヤーの代用として使いたいという要望が利用者から多いため」らしい。

会社によって細かな規定は異なりますが、
黒塗りのタクシーだと通常よりも高級車種を使い、
特別の試験をパスした運転手でないと乗務させないというケースが多いそうです。

もちろん例外もあるようですが、
頭の片隅に入れておくと便利かもしれませんね。