サッカーのイラン代表が2014年のブラジルワールドカップ進出を決めたことで、
首都テヘランの至る所で大勢の男女があふれました。

しかし、政府は6月19日にテヘランのアザディースタジアムで開催された、
サッカー選手の歓迎式典への女性の参加を禁じたのです。
先日まで男女共々大通りで騒ぐことを黙認してきた政府でしたが、
結局、男女を分けたがる姿勢に逆戻りしました。

「そうか。この国はまだ何も変わってないんだ!」と、誰もが思いました。

イランがまだ変化していないことを示す証拠の1つは、
男性サッカーを開催するスタジアム内への女性の立ち入り禁止。

しかしもっと重要なのは、いまだに女性は自分の好きな衣装を着られないということです。

イランの女性は衣装を自由に選べないと聞くと、最初に浮かぶイメージは何ですか。
おそらく全身を黒い布で包み隠し、目しか見えない女性の姿でしょう。

アラブ諸国であるサウジアラビアやアラブ首長国連邦などとイランのイメージは、
メディアによって同一視されていますが、
実は同じイスラム系国家であっても、各国の女性の衣装に対する考え方は大きく違います。


まずは、イスラム教を主としている国といえば、どんな国があるでしょうか。

イラン、トルコ、サウジアラビア、インドネシア、アフガニスタン、エジプトなどが
ありますが、それらの国の女性の服装を見ると違いがよく分かると思います。

同じイスラム主義国であっても、なぜ基準が異なるのでしょうか。
衣装を国が決めるようになったきっかけは何でしょうか。

まず、イスラムの定型的な象徴である「ヒジャブ」の定義から見ていきましょう。
モスリムにとって、それほどまでに大切にされる「ヒジャブ」とは何でしょうか。

「ヒジャブ」は、イスラム教の聖書であるコーランによって決められている
女装であると言われています。
少なくともコーランの3箇所で、イスラム信者の男性がサタンの誘惑に陥らないために、
女装をしており、それが女性の服装として定められたようです。
女性は顔と手首以外を除いて、自分の見える魅力を隠すべきであると指摘されています。

女性の魅力である髪や首筋、腕を見ることのできる男性も、
コーランによって決められています。

父、夫、義父、兄弟、息子、継子、兄弟の息子の前であれば、
髪の毛などを隠さなくてもよいと決まっています。

つまり、イスラム教では、魅力を隠せば外出することを認めているといえます。
もちろん現実は全く異なります。

多くのアラブ国では女性にはまだ投票権がありませんし、
サウジアラビアでは女性は運転免許を取得できないだけでなく、
男性が一緒でなければ外出さえ認められません。

しかし、ヨーロッパの国々と接触する機会が増えるに従い、
ヒジャブの着用を嫌がるインテリ階級も増加しました。
女性組織などの結成をきっかけに、女性の権利を求める運動も始まりました。


イランの女性も抵抗をしていきました。

その努力が実り、イスラム聖職者の反対にもかかわらず、
62年に投票権を獲得しました。

女性が獲得した次なる成果は、一夫多妻を制限する規則でした。
新しい規律によって、男性は2番目の奥さんをもらうためには、
妻の許可が必要となりました

79年の革命以前は、イランの女性はある程度の自由を得ていたこともあり、
当時のファッションは世界のトレンドとほぼ同じ方向に進んでいました。

音楽や映画で活躍する女性もいれば、美人コンテストに参加する女性もいました。
この時期、多くの女性が教師や看護師として社会に出ていきました。
政府の制限がないからといって、女性が完全に自由だったわけではありません。

しかし、ホメイニ氏は一転して、原理主義を唱え、79年に革命に勝利してからは
「イスラムに沿った男女平等」を強調しました。

原理主義のモスリムは、このイスラムに沿った“男女平等”を
「女性は立派な母として、子供の養育の責任と妻として家事をする権利があり、
男性は家族を経済的に支持し、保護する役割がある」と解釈したのです。

女性が外で働くことの廃止を目指したものの、原理主義グループは、
その目標を達成できなかったため、衣装の制限に矛先を変えました。

ホメイニ氏の命令で、ヒジャブを着用していない女性は政府機関に
立ち入り禁止となりました。
多くの女性たちがデモを起こして抗議しましたが、ヒジャブは必着となりました。

79年の革命後、女性が失ったのは衣装の自由だけではありません。
女性の歌っている声を男性が聞くことは、イスラム教に反する行為だとされました。
その結果、国内の女性は歌手としての活動が禁じられたのです。

海辺は男性用と女性用に分けられ、女性は定められた場所以外では
水着で泳ぐことは認められません。
結婚式の会場も、男女は一緒に入れなくなりました。


とはいえ、女性たちも負けてはいません。
知恵を絞り、自由を求める挑戦を始めました。

その2つの工夫を紹介しましょう。
やっと本日のテーマに入ります。

まず、女性は大学進学を懸命に目指しました。
79年革命以降、小中学校や高校はそれぞれ男子校と女子校に分けられました。
しかし、大学はまだ男女一緒に授業を行うため
女性はこの“唯一のチャンス”を逃せませんでした。
今やイランでは、大学入学者の55%以上を女性が占めています。

女性が取り組んでいるもう1つの“工夫”は、美しさのアピールです。
衣装について大きく制限されているイランの女性は、厳しい制約の中で、
できる限り自分の美しさをアピールするよう心掛けています。

髪の毛で自分の美しさを表現できないので、顔に注力するようになりました。

目や眉毛は十分美しいので、あとはこの美しさにふさわしい“鼻”だけだと思ったのか、
鼻の整形手術をする女性がイランは世界1位となりました。

これはイラン女性の美しさの制限に対抗する抗議と“努力”ではないでしょうか。

「顔しか見えなくて、鼻は顔の真ん中にあるので、手術しないとだめだ!」と
ある女性は外国メディアのインタビューで答えていました。

この女性はこうも話しています。

「イランの女性はファッションへの関心が高すぎると思う。
イランの女性は社会的に貢献できる実力を見せることができないので、
自分自身を見せることに力を入れている。
控えめな衣装に対する影響もあるでしょうが、
様々な手段で『ヒジャブ』に抵抗しようとしていて、
整形で自分を美しく見せるのも、その手段の一つでしょう」と。


しかし、こうした女性の制限突破の工夫は、決してスムーズに
進んでいるわけではありません。
政府とファッション好きの女性との間では、終わりなき戦いが続いています。

8年前から政府によって「指導パトロール」が任命され、
大都市の大通りできちんとした衣装を着用していない女性を逮捕するのです。
逮捕された女性は、罰金を払わなければ釈放されません。

そもそも“きちんとしたヒジャブ”とは何でしょうか。
おそらく指導パトロールに聞いてもはっきりした答えは返ってきません。
それは、各指導パトロールの判断で決まることなのです。

イランはトルコに比べると女性の自由は厳しく制限されているかもしれませんが
一部のアラブ国に比べると、ある程度のレベルにあると言えるでしょう。
こうした中でイランの女性は衣装の自由獲得を狙い、自分なりに戦っています。

ベールで髪の毛を隠すのであれ、スカーフを使わず自分の美しさをアピールするのであれ、
それは女性が自由に選択すべきことです。
この自由を必死で求めているイランの女性を、応援したいと思います。